Posted by Tatsuo NAKAMURA on Monday, July 07, 2008
社会人2年目に参加したとあるM財閥グループの研究会でのこと。
某大会社の事業部長クラスの方が、私が勤めていた会社のことを「寄生虫のような会社」と称された。たしかにその方の所属されている会社から私が勤めていた会社に対して資本が入っており、規模も象と昆虫のような関係かもしれないが、まだこれからいろいろと吸収して意気揚々とがんばるつもりでいた新人あがりの自分には大変ショックであった。すくなくとも、私の所属していた会社は、その方自身から投資してもらった会社ではないし、会社間の資本関係がそのまま、そこにつとめる人間どおしの上下関係に結びついているという事実も、たいへん違和感があった。
その「寄生虫のような会社」に入社したのは、自分のやりたい事が実現できそうな気がしていたからであって、その某大会社に入社できなかったからではない。それなのに、なぜ、会社の資本関係がそのまま、人的関係にまで影響をおよぼすのか、すぐには理解できなかった。さらに、その場に居合わせた別のグループ企業の方々も、「それは仕方ないんじゃない」と、資本関係がそのまま、会社間の人的つきあいに反映されるものだと、若造に対して諭すように言っていたのをいまでもよく覚えている。
同じような言動を別の親会社に所属する人からも聞かされて、いよいよ、何かしっくりこないものが自分の中に貯まっていった。
そして、いまになって思えば、このときから、会社に対する自分の中での帰属意識が薄らいでいってしまったような気がしている。
「○○社の中村さん」ではなく、「中村さんは○○社」と言われるように、自己のアイデンティティーをどのように形成するかが、重要だと認識するに至ったきっかけでもあった。
しかし、自分のアイデンティティを作るためには、会社でのあらゆる分野の仕事を積極的にこなす必要があり、結果として会社のために稼働することになった。会社との共生関係が必然的に形成されたのである。社員は自己実現のために会社を利用し、会社には「暖簾代」を払っているという考え方がある。その暖簾代が適性かどうかは、会社と個人の共生関係のバランスの上に成り立っている。とくに最近の学生はこの関係をシビアに見ている。 いまは経営側として、この適性バランスに配慮する日々であるのが、それはそれで、なんとも不思議な感じだ。
|
|
|
|
※本文と写真は関係ありません。

![Validate our RSS feed [Valid RSS]](/images/valid-rss.png)



